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福岡市東区箱崎7-8-8 パルク箱崎2F

092-632-3553

スタッフ紹介

院長

名前 近藤 崇 (こんどう たかし)
誕生日 1972年7月5日
趣味ドラム(現在バンドでドラマーをやってます)
ジョギング(最近さぼってますが、2006年の福岡シティマラソンでハーフマラソン完走しました)
経歴 1985年 福岡市立草ヶ江小学校 卒業
1988年 福岡市立警固中学校 卒業
1991年 福岡県立修猷館高校 卒業
1999年 福岡県立九州歯科大学 卒業
1999年 北九州市八幡西区矢野歯科医院 勤務
2001年 鹿児島市桜ヶ丘フレンド歯科医院 勤務
2003年 福岡市博多区美野島わかば歯科クリニック 院長
所属学会日本歯周病学会
患者様へ一言子供の頃、通院していた歯科医院の先生が、とても寡黙な優しい方で、家族全員がお世話になっていました。
将来の進路を決める時、この先生のようになりたいと言う思いから、歯科医の道を選びました。
患者さんが、気軽に来られて治療だけでなく色々なコミュニケーションがとれる歯科医院になるように努力していきたいと思っています。
歯科の2大疾患である、虫歯と歯周病は細菌による感染症です。これらの疾患は、定期健診を継続し、プラークコントロールをきちんと行うことで、感染のリスクは激減します。歯や歯茎の痛みが出てから、来院すると、治療の回数や費用がかかってしまいます。

早期発見、早期治療で、痛みのない歯科治療を行い、定期健診で、健康なお口の状態を維持しましょう!

自己紹介

出生~小学校 大家族でした

生まれは大阪でしたが、父の急死で3歳からは、母の実家がある福岡で育ちました。
保育園時代はあまり記憶がありませんが、卒業アルバムには「将来、タクシーの運転手になりたい」と書いてます。
他の大多数の男の子も、そう書いていたので、おそらく流行ってたんでしょうね(笑)

草ヶ江小学校時代は、おとなしい方だったと思います。
運動は嫌いじゃないんですが、オンチでした。ドッヂボールではいつも真先にぶつけられてましたね。

母は、僕が父親を早くに亡くした影響を気遣い、絵画教室に通わせたり(父の亡くなった直後は、絵を描かせても、黒か青以外の色は一切使わなかったそうです)、知人の大学生の方に家庭教師を頼み、勉強したり、一緒に遊ばせたりと、色々な経験を僕に積ませてくれました。
また、僕達一家は、母の実家で11年間(3歳~14歳まで)暮らしたのですが、祖母、叔母の家族、叔父など、大家族(全部で8人!)の中で育てられ、みんなに色んな躾をしてくれたのは、今考えると、とてもありがたい事だったと思います。特に祖母には、毎日のように怒られていましたが、そこには祖母の溢れんばかりの愛情が詰まっていました。

僕は、今現在、お年寄りの患者さんと接するのが大好きなのですが、祖母の影響だと思います。小学校5年から、いわゆる学習塾に通い始めましたが、 子供心ながらに、母親からの期待は感じていましたので、勉強に対しては、「やらなければいけない!」と思っていたものです。

中学校時代 流行りの・・・

城西中学校時代は、「ヤンチャな仲間」達と遊びながら、勉強も頑張ってました。それでも、色々と母親にも心配をかけていたと思います。中学2年生の時、母親がマンションを購入し、親子4人の生活になり、また、中学も警固中学校に転校します。警固中は、おとなしい人が多い中学でしたが、ここでもいい友人を作る事が出来ました。
そんな中学時代は、とても充実した期間でした。自分で言うのもなんですが、そのころ流行りだった「ちょっとワルな優等生」って感じだったと思います。
しかし、修猷館高校に入学して、全てが一変したのです!

高校時代 そして浪人生活

入学して第1回目の実力テストで、クラスの下から2番目だった僕は、3年間、学業に関してはひたすら超低空飛行を続けました。
留年しなかったのが不思議な位です。当時の修猷館は(今もそうでしょうが)非常に自由な校風で、僕は、その中でも、古き良き伝統と、上下関係を学ばせてくれた応援部での活動にのめり込み、友達と遊び呆けたものです。
高校3年間で、入学前は、偏差値で70前後あったのに、卒業前には、全国偏差値が40を切るような有様です。

そんな中、無謀にも歯学部を目指したのは、他ならぬ母親の勧めでした。
理系か文系かを決める時、僕は文系に進もうと思っていたのですが、母親から、「専門職についてほしい、しかも父方に歯医者の親戚が何人かいるから、歯医者がいいんじゃないか」と言われた僕は、「よし、やってやろうじゃないか!」と、歯学部受験を決めました。

とは言え、偏差値が40を切るような成績で、受かる歯学部などありません。
当然のように浪人、しかも2年間かかってます。またまた母親に迷惑をかけてしまいました。特に2浪目は、後がないという思いと、自分の実力が上がらないもどかしさを抱えながら、ひたすらコツコツと勉強を続けたのですが、最終的には県立の九州歯科大学に入学することが出来ました。やっと母親を少しだけ安心させられたかな、と思ったのを覚えています。

勤務医時代 子供さんに教えられた+結婚!!

歯学部卒業後は一人前の歯科医になるための修行が必要です。

卒業後、部の先輩の紹介で、北九州市八幡西区の「矢野歯科医院」に就職することになりました。当時の矢野歯科医院は、初代の老先生と、若先生、代診の先輩、そして僕と、4人の常勤のDrで1日100人前後を治療するという、大規模な病院でした。とにかく、毎日たくさんの患者さんがいらっしゃるのですが、卒業したての私は、当然大した戦力になりません。

しかし、矢野先生親子は、絶対に僕の事を頭ごなしに叱ったりせず、いつも暖かく見守ってくださいました。若先生からはインプラント、歯周病、矯正と積極的に最先端の治療を僕に教えて下さり、老先生からは、患者さんとのコミュニケーション、外科処置等を学ばせて頂きました。
特に、歯周病に関しては、若先生からの的確な指導の下、一人の患者さんをずっと担当させてもらう事で、じっくりと歯肉の状態を観察していく事の重要性を学び、研鑽を積んでいきます。

そしてお二人が、常に患者さんのために、真摯に向き合っている姿に惹かれ、「僕もいつかはあんな先生になりたい」との思いを抱きながら、毎日の診療を懸命に行っていたのでした。矢野歯科医院での勤務が2年を過ぎようとする頃、大学の部の先輩である、重久先生から「人出が足りないので、お前に是非来て欲しい」とのお言葉を頂き、「他所の病院で、自分がどこまで通用するか試してみたい」、と思い立ち、鹿児島市のフレンド歯科医院に就職します。2年間の矢野歯科医院のキャリアに、少し天狗になっていた僕でしたが、すぐにその鼻はへし折られました。矢野歯科医院は、サラリーマンの方が多く、主婦の方やお子さんは殆ど治療をしたことがなかったのですが、フレンド歯科医院は、お昼の時間は主婦の方とお子さんで溢れかえっています。特に最初は、お子さんの治療で苦労しました。泣き喚く子や、診療室にも入ろうとしない子、でも治療はしないといけない・・・。

しかし、真剣に診療を続けていく中で、僕は、お子さんの成長する姿に気付いたのです。「最初はあんなに泣いていた子が、最後にはこんなに笑って治療が出来るようになるんだ!」少しずつ、お子さんの治療が楽しみながら出来るようになっていきました。そうなると、僕を慕ってくれるお子さんも少しずつ増えてきて、ますます診療が充実していきます。僕が、お子さん達の治療をさせてもらいながら、逆に色んな事を教えてもらった気がします。

また、フレンド歯科時代に、当時の受付だった女性と職場結婚しました。
現在のうちの奥さんです(笑)。今でも、仕事の悩みに的確に答えてくれる、有難いパートナーです。先輩の紹介で、博多区美野島にある「わかば歯科クリニック」で院長として勤務することになりますこの「わかば歯科クリニック」では3年半勤務しましたが、僕というDrを頼って来て下さる、患者さんの有難さを実感しました。
今まで勤務していた病院と違い、僕が全責任を負って診療していく訳です。きちんとした説明をすること、きちんとした治療をすること、ホームページを作り、医院の考え、取り組み、診療内容をわかってもらうこと等、ひとつひとつをコツコツとスタッフのみなさんと作り上げて行く事が大事なんだという事を学ばせてもらいました。

このわかば歯科の付近にもたくさんの歯科医院がありますが、おかげさまで3年半で、少しずつ患者さんの数を増やすことが出来、Drとして、一人でやっていく確信を得ていきました。

そして開業へ

2007年4月3日、縁あってこの福岡市東区箱崎開業しました。自分の得意である歯周病の分野や、お子さんの予防歯科等、またインプラントやホワイトニング等の治療を通じ、地域の患者さんの医療貢献が出来るように、日々研鑽と努力を重ねております。

これからも、こんどう歯科クリニックをよろしくお願いします!

日本歯科評価機構

歯科衛生士

諸留

お口の中だけなく、心も満足して頂ける様、笑顔で頑張ります!

今村

患者様がリラックスして治療を受けて頂ける雰囲気作りを大事にしていきます。

坂口

患者様にとってより身近な歯科医院になれるよう心掛けます。

橋元

患者様が安心して通えるように声掛けやコミュニケーションをとることを大切にします。

受付

烏山

皆様の心によりそえる受付を目標に毎日笑顔でお待ちしております。